私はとぼとぼとあてもなく駅前の道を歩いていた。駅の近くにはまだ人がいっぱいいて、私は重たい学校のカバンを引きずりながら歩いていたけれど、塾帰りの制服の子とかがまだたまに歩いていたりするせいか、全然怪しまれたりはしない。
 時計はそろそろ九時半をさしていた。これからどうしよう。
 とにかく家には帰りたくない。
 ……家出しちゃおうかな。
 だけど家出をするにも、お財布はゆりくんの家だし。これじゃあ電車にも乗れない。
 私は心細くて、けれど家には絶対に帰りたくなくて途方に暮れた。
 その時、私は突然思った。
 ゆりくん。
 ゆりくんに会いたい。
 それは暗闇を破る光の刃のように、私の心を覆い尽くす真っ暗な暗幕をすっぱりと切り落とした。
 何もかもこれでうまくいく、という不思議な確信が心に生まれる。
 ゆりくんさえいれば、何もかもみんな大丈夫。
 そんな、不思議な確信が。
 私はカバンにさげていたPHSを取り出した。見たら電源が切れている。そういえばゆりくんの家にいる間、誰にも邪魔されたくなくて電源を切ってしまいそのままだった。急いで電源を入れ、ゆりくんのPHSにかけた。
 コール音が一度鳴り終わるかどうかのうちにゆりくんが出た。
「月ちゃん!?」
 ゆりくんがどうしてだかせっぱ詰まったような声をあげたけれど、私はとにかくゆりくんに会いたいという気持ちがどうにも抑えられなくて、ゆりくんの言葉も聞かずに電話に向かい叫んだ。
「ゆりくん、一緒に来て!」
 電話の向こうで、「え?」と小さな声が聞こえたが私は気にせず続けた。
「家出するの。ゆりくんお願い、私と一緒に来て」
 私はそう言いながら、ずいぶん勝手なことを言っているなと思った。そうしてふいに正気に戻り恥ずかしくなった。
 いきなり事情も話さないで、何を言ってるんだろう、私。
 一から話さなきゃ、と思って心を落ち着けようと一呼吸置いた私の耳に、ゆりくんの声が届いた。
「いいよ」

 ゆりくんは自転車で来た。
「待った?」
 会うまで、なんて言おうと思いドキドキしながら待っていたけれど、ゆりくんはやってきて普段通りの笑顔で何事もなかったかのようにしてくれる。
 だから私も安心して、いつものようにゆりくんを見上げて笑った。
「ううん」
 電話をしてからほんの二十分ほどでゆりくんは来てくれた。よっぽど急いで来たんだろう。
「寒くない?」
 ゆりくんが私に言う。私より十センチくらい背が高いゆりくんが、私と話すときはいつもちゃんと少し下を向いて私の目を見てくれる。私はそれがとても好きで、しかもこんな時は本当にそれがうれしくて、胸がぎゅっとなった。
「寒くないよ。ありがと」
 私がそう言うと、ゆりくんはもういちど私ににっこり笑いかけてくれて、それから言った。
「月ちゃん何処に行きたい?」
 私はゆりくんを見上げ首を振った。
「わかんない…行きたいところなんてないし、それにお財布、ゆりくんの部屋に忘れて来ちゃった……」
 そう言った途端、さっきの出来事を思い出して、私は涙ぐんだ。
「月ちゃん」
 ゆりくんは、突然泣きそうになった私を見て、驚きもせず、何かを聞こうともせず、ふんわり抱きしめて頭を撫でてくれた。
「財布、持ってきたよ。だいじょうぶ。自転車あるし」
 私はゆりくんの胸に、うん、とうなずいた。少し目を閉じて、そして開けたら、もう涙は止まってた。
 私がゆりくんの腕の中で顔を上げると、ゆりくんが言った。
「じゃあ、僕のお気に入りの場所に行こうか」

 ゆりくんの連れてきてくれたのは、私が行くはずだった中学校。
 スカートだっていうのに、柵をよじ登り飛び越えて、ゆりくんの手招きするままに非常階段をのぼった。足音を忍ばせて登り切ったらそこは屋上だった。
「ここがね、ぼくのお気に入り」
 屋上への入り口の鉄の柵をまたよじ登って飛び降りた。
「うわぁ、すごい星が見えるよ!」
 屋上から見た空はまあるくて、そして数え切れないほどの星が瞬いていた。
「最近、星なんてちゃんと見てなかったな……」
 このあたりでは、学校が一番大きな建物で、だから視界を遮るものなんて何もなくて、町のすべてを見わたすことができた。
 町中に点る灯がひとつずつ消えてゆく。
「きれいね」
 私が言うと、ゆりくんが、うん、とうなずいた。
 少しずつ寒くなってきた。私がくしゃみをしたら、ゆりくんは自分の着ていた上着をわたしの肩からかけてくれた。
 私はゆりくんにちょっと、もたれかかる。
 ちょっとだけなのははずかしいから。なのにゆりくんは、そんな私をもっとそばに引き寄せる。肩にゆりくんの手がまわされて、私はうれしくて、でもちょっと照れながら、ゆりくんの胸に頭を寄せて、ふふ、と笑った。
 ――夜が。深くなる。
 そうしてどれくらいの時間が経ったのか。やがて東の空が端から藍色に染まりはじめた。
「月ちゃん」
 ゆりくんが立ち上がった。
 空があけはじめ、藍から蒼にかわってゆく。
 私もゆりくんも蒼く染まって。
 そしてゆりくんが屋上のその上、さらに高いところによいしょって登って手招きをした。
 私もよじ登りゆりくんの隣に座ると、真っ青に静まった町のそのはずれに、ぽつりとひとつだけ灯がともっているのが見えた。
「…あ、あれ」
 私はびっくりした。
 遠くに見える、見慣れたアラジンのランプ。
 私の、家だ。
「あれはパパの月ちゃんのための灯」
 ゆりくんが言う。
「月ちゃんがいい子だって、みんなわかるよそのうち。だってぼくにはわかったから」
「ゆりくん」
 そしてゆりくんは話してくれた。
 パパは私が泣きながら家を出て行ってから、すぐに車でゆりくんちにかけつけていたこと。
 ゆりくんのママはびっくりして、でもパパを家に上げて話を聞いてくれた。
「うちの月ちゃんはとてもいい子です。そして、ゆりくんをとても大好きみたいなんです。だから月ちゃんを嫌わないであげてください。ラブホテルを経営しているのは自分で、月ちゃんは本当にいい子です」
 そう何度も繰り返しゆりくんのママに言った。
 ゆりくんのママは、事態を察したらしい。自分が言ったことばを私が聞いてしまったんだっていうことを。
 そのときにちょうど、ゆりくんのPHSに、私からの電話が入った。そして「すぐ行くから」って言って電話を切ったゆりくんに、ゆりくんのママが言った。
「月ちゃんに、ごめんなさいってつたえて。月ちゃんはとてもいい子で、私はそれを知っていたのに、ラブホテルの子だ、なんて言う自分がはずかしいわ。月ちゃんのお父さんは月ちゃんのためにそういうお仕事をしていて、それだってとても立派なのに。お母さん、ほんとはずかしい。ごめんなさい」
 ゆりくんは、つたえとく、とうなずき、自転車にまたがる。そして全速力で、私の待つ駅へと向かった。
「…月ちゃん、家に帰ろう」
 ゆりくんが言った。
 私は、うん、とうなずいた。
 うなずいた拍子に、また涙が落ちた。
「うん、帰る」
 何で泣いてるんだか、私にはわからなかった。でも悲しくて泣いてるんじゃないっていうことだけは確かだった。
 ゆりくんが先に立ち上がって、屋上の床に飛び降りた。そして私に手をさしのべる。
「おいで」
 私はゆりくんの手をつかんで、そこから飛んだ。

 自転車の後ろに乗って、家に帰り着いた頃にはもうまるっきり朝だった。
 空はクリーム色で、きらびやかなうちのおとぎの家の電飾もあまり目立たなくなっていた。
 私は自転車から降りて、そしてどきどきして立ち止まった。
 怒られるかな。パパに。
 そのとき、ゆりくんが私の髪をぽんぽんとなでた。
「行こう。お父さん、きっと待ってるよ」
「…うん」
 私は胸のどきどきがおさまらないまま、玄関のドアを開けた。
「ただいま…」
 玄関を開けたそこには、怖い顔をしたパパが立っていた。
「…パパ、」
 怒られるかなあ、という私の心臓の音が頂点に達したとき、その怖い顔のままパパは私に近寄り、ぎゅーっと抱きしめた。


 私は鼻歌を歌いながら、家への道をスキップで帰る。
 途中、隣のおばさんとすれ違った。
「こんにちは!」
 私は元気に挨拶をする。
 すると、おばさんは少しとまどったような顔をして、
「こんにちは」
 と言った。
 私はにっこり会釈をして、そしてまたスキップで家へと向かう。
 パパが家で待っている。
 今日は私の好きなカレーライスだ!
 さあ、早く帰ろう。



END




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