彼はヒコウキを作っていた。
 授業中も、休み時間も、いつもヒコウキを作っていた。
 だから学校の成績なんて滅茶苦茶で、去年なんて私はこのひとが来年は同じ学年になれないんじゃないかと心配して、試験前にとっつかまえてヒコウキを取り上げ図書室に監禁した。彼は悲しそうな顔をして、ヒコウキが作りたいといった。私はなんだか鬼婆になったような気分がして、それでも彼と次の年も同じ教室で過ごしたかったからその捨て犬のような瞳をがんばって無視し、数学の問題を書いたノートを渡した。
 罪悪感はあった。だって彼が留年しないことを願ったのは彼じゃなくて私だったから。私は私の「来年も同じクラスで一緒にいられる」という欲のために、彼から一時的にとはいえヒコウキを取り上げた。
「ヒコウキが作りたいよ。学校なんてどうでもいいんだ本当はヒコウキさえ作れるなら」
 彼は歴史の教科書に目を落としてそう言った。
「一瞬一秒さえもったいないんだ。自分の頭がヒコウキ以外のことを考えるのが。自分の指がヒコウキを作ること以外のために動くのが」
 
 私はなぜだか彼のことが好きだった。
 そして彼に友達はそんなに多くなかった。
 口を開けばヒコウキのことばかり。誰と何の話をしていてもいつもヒコウキの話に持っていってしまう彼だったから。
「あいつオタクだよ」
 そうひとことで片づけて見向きもしないクラスメート達を、まったく意に介さず自分の時間に没頭できるのは彼で、私だけいつだって心配ばかりしていた。
「ねえもっと休み時間にみんなと話したりとか、そういうことをすればいいのに」
 そう私が言うと彼は優しい笑顔をむけて
「うん、そうだね」
 と答える。けれど彼は人の話に返事をしているだけで、その実さっぱり聞いてなんかいない。いくら私が言ったってただひたすらヒコウキを作っているだけだ。
 そんな彼に不安を覚えながら、けれど少し安心もする自分が嫌いだ。安心。だって彼がこういう人である限り、声をかけるのは私くらいのもので、だから他の人に彼の心が奪われてしまう心配がないから。
 だけど本当は、彼の心が他に向かなくても、自分の方を向いてくれないのなら同じだということにも気付いていた。
 好きだよって言ったって、私とのデートの時間なんてもったいないときっと彼は言うんだろう。
 ヒコウキを作る時間が減るってきっと彼は言うんだろう。
 
 ある日私が聞いた。
「ニンゲンよりヒコウキの方が好きなの?」
 彼は、きっとあっさり、うん、と頷くんだろうなあと私は思った。
 けれど彼は目をぱちくりして答えた。
「そんなことないよ、ヒコウキはニンゲンの夢を運んでくれる乗り物だから好きなんだ」
「そんなの電車だって車だって同じじゃない」
「うん、でも少し違うんだ。ずっとずっと昔から、たくさんのひとが、いつか空を飛びたいって夢を見てたんだ」
 彼は作っていたヒコウキを大切そうに鞄にしまった。
「ディズニーランド好きだって言ってたよね」
 唐突な言葉に、私は、うん、と頷いた。
「僕も好きだよ」
「そうなの?」
「うん」
 そう言うと彼はまた新しく道具を広げ、ヒコウキを作り始めた。私は少しいらいらして声を上げた。
「だからなんなの?」
 ディズニーランドが一体なんだというの。全然関係ないじゃない。
「ディズニーランドは私好きだよ、あんなにおもしろい遊園地ほかにないし、だけどヒコウキとそれがいったい何の関係があるわけ?」
 私は彼がいつものように返事だけして全然話を聞いていないのだと、そう思った。
 けれど。
「同じなんだ。僕のヒコウキとディズニーランドは。ねえ、ディズニーランドを作った人は何を持ってたと思う?」
「お金でしょ。お金がなかったらあんなにすごいもの作れないもの」
「うん、それはもちろんそうなんだけど、お金だけでも作れないじゃない。人を楽しいと思わせるものが存在するとき、そこには必ず作った人の夢があるんだよ」
「夢?」
「そう、きっとディズニーランドを作った人は、たくさんの人が喜ぶっていう夢を見たんだよ。他の誰にも見れないような大きな夢。それは人を愛してるっていうこと。お金が儲かることを考えるよりずっと先に、人間を愛しているんだっていうことなんだよ」
 
 わかったような、わからないような。
 そんな気分だったけれど私は、それは彼のことなんだと思った。
 人間を愛しているのは彼なんだ。
 
 ある日。私は部活のテニスの試合に負けた。
 大切な試合だったのに自分のミスで負けた。
 ラケットを持ったまま、私は誰もいない校庭の隅で泣いた。
 その時にふわりと、風と共に飛んできたのはヒコウキだった。
 私が顔を上げると、そこには彼が立っていた。
「あ……」
 彼は私の足下に落ちたヒコウキを拾い上げた。
「作ったんだ」
 私はびっくりした。
「……私のために?」
 彼は頷いた。
 はじめてのことだった。
 いつだって私はヒコウキを作るのをそばで見ていたけれど、ヒコウキをくれたのははじめてだった。
「ほかにあげられるものがなにもないんだ」
 ぽつりと彼が言った。初めて見る表情をしていた。少し悔しそうな、もどかしそうな、そんな顔を。
「僕は何かを話すより、いつでもヒコウキを作っていたから、いろんなことが足りなくて何を言っていいのかわからない。だけどヒコウキなら作れるんだ。きみに言いたいことばが本当はことばとしてあるはずだったんだけど、それをなんて言ったらいいのかわからなくて。だからヒコウキを作ったんだ」
 そっと。
 彼がヒコウキを私に差し出した。
「誰かの心に何かを届けるとか、そういう役目を持たなかったら、ジャンボジェットでさえただの鉄くずと同じなんだよ……」
 私はヒコウキを受け取った。
 そして、彼を見上げた。
 
 ヒコウキが。
 ただのヒコウキなのに持ってる手を暖めるのは何故だろう。
 
「……わたしをすき?」
 私は聞いた。
 彼は、
「うん」
 とうなずいた。
 そして私の持っているヒコウキにそっと触れた。
「わかるよね」
 彼のことばに、私は声も出せずに首を縦に振った。
 何でヒコウキが暖かいのか解ったから。
 
 熱が伝わる。
 ことばなんてなくてもわかることがあるんだって。
 私はヒコウキを胸に抱いてもう一度泣いた。






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